このような革新的な流れが生まれる新しい時代の中で、レーベルの役割を改めてみつめなおした上で共同レーベルを設立しました。 『日本ロック学入門』、1986年、p173• 吉田・井上とも所属のレコード会社とちょうど契約の切れるいいタイミングだった。
15シングル「襟裳岬」で1973年度のレコード大賞を受賞し、陽水と共にミュージック界の頂点を極めていたのだ。 そこへ当時ポニーおよびキャニオンレコード(現:)の社長であったが救いの手を差し伸べ、プレス・販売元をキャニオンレコード、販売委託をポニーが受け持った。
10かつて所属していたアーティスト あ行• 3月期の総売上げが8億円になったことで小室に代わり吉田が代表取締役社長に就任した。 8、analog特別インタビュー・。
16今や伝説として語り継がれる、かぐや姫とのである。 あいにきてI・NEED・YOU! オレは誘われただけ」 、「俺がアメリカに遊びに行ってる間に、知らないうちに決まっていた」などと話している。
4。 仲よしこよしは何だかあやしい 夕焼けこやけはそれよりさみしい 一人で見るのが儚い夢なら 二人で見るのは退屈テレビ 星屑、夜空は星屑、ひとりきり. ら行 [ ]• 前身はフォーライフレコードで、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげる、小室等という現役のミュージシャンにより1975年に立ち上げられた、ビジネス優先ではなく、アーティストの想いを尊重した当時非常に革新的なレコード会社でした。 三宿産業の負債総額は約60億円。