彼は次のように言う「悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。 このことは、父祖代々の罪を引き受けるなかでとりこむことでもある。 食に関する本は数多いが、今回は世界各地を巡り、その地ごとの食という営みを描いたルポルタージュを取り上げたい。
1(平成16年)には講演中にで倒れ、(平成17年)にはにも冒されたことを公表したが、(平成18年)に『自分自身への審問』を復帰作として上梓するなど、精力的な執筆活動を続けている。 第97回 「鍋の中」• (中略)。 「なぜ、なぜ、いつまでも<在る>の状況から解放されないのか。
それこそが問われなければならない。 『闇に学ぶ 辺見庸掌編小説集 黒版』角川書店 2004• 去る六月十日、の発作に遭いし以来のは、形骸に過ぎず、自ら処決して形骸を断ずる所以なり。
19は(全著作の中でについては一言も触れてはいないが)、上記のことについて次のように述べている。 そういう理念が、ここにきて破綻(はたん)している」 だが、新聞やテレビの報道は、その理念を人々が共有していないことに気づかず、事件の本質を突けていないと思ったという。 戦後のニッポン社会は、戦争責任も思想転向も大政翼賛も九条の無視もオチャラカ文化も建設も、はたまたすべての価値の空洞化も、人びとそれぞれの個別主体から切り離して、なにか正体不明の「巨大な海綿のようなもの」のせいにしてきた。
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