1930年• 現在、歯舞群島は無人状態です。
19世紀前半には、ロシア側も自国領土の南限をウルップ島(択捉島のすぐ北にある島)と認識していました。 政府としては、我が国がサンフランシスコ平和条約に基づき、千島列島及び我が国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した南樺太に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄しており、その帰属についての見解を述べる立場にないこと、我が国がこれらの地域についてサンフランシスコ平和条約に基づきすべての権利、権原及び請求権を放棄して以降、ソビエト社会主義共和国連邦及びこれを承継したロシア連邦が継続的に現実の支配を及ぼしており、これに対してロシア連邦以外のいかなる国家の政府も領有権の主張を行っていないこと等を踏まえ、千島列島及び南樺太を含む地域を管轄地域とする在ユジノサハリンスク日本国総領事館を設置したものである。
13サンフランシスコ条約受諾演説で、吉田全権は、南樺太・北千島・南千島・歯舞色丹、それぞれ歴史的経緯は違うけれど、どの領土も、暴虐や貪欲によって日本が奪った土地ではないと演説しました。 このため、口では返還を唱えながら、その実、返還交渉の進展を極度に妨害する勢力が存在します。 これにともなって、ロシアと日本との間の条約によって引かれた国境線を境界として、樺太南部と千島列島に住むアイヌの帰属と移住が、彼ら自身のあずかり知らぬところで一方的に決定されました。
ロシアのサンクト=ペテルブルクで締結されたので、サンクト=ペテルブルク条約ともいう。 :, 樺太千島交換条約/ 樺太千島交換條約(からふとちしまこうかんじょうやく)• 宮本氏は「連合国側では、ヤルタ協定においてソヴィエト連邦への南樺太の返還及び千島のひきわたしが決まっています」「現状において、もしかりにエトロフ、クナシリが、日本の島になったりすると、誰がここに飛行場をつくるか。 自民党政府が、こうして、スターリンの大国主義の誤りを是正するという大義ある立場を投げ捨て、領土返還要求の根拠を、サンフランシスコ平和 条約の勝手な「解釈」論だけに求めるという道を選んだことは、ソ連およびロシアとの領土交渉における日本政府の立場をきわめて脆弱(ぜいじゃく)なものに しました。
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