がんで激やせした姿でも東京五輪に向けて指揮を執る森喜朗。 さらに『総理が語る』は視聴率が取れないため、放映時間帯も大半は条件が悪く、且つ日本マスコミには「首相が出演する単独企画はしない」という申し合わせも存在すると言う。
。 この事故には、失言問題で会長を辞任した 森喜朗氏が当時の総理として対応に当たったが、「事故を知ってからもゴルフのプレーを続け、初動対応が遅れた」などの批判が殺到。
11太平洋の島嶼国に対しても、親日的傾向と小国ながら国連では一票を持っていること着目して積極的に外交関係拡大に努めた。 後任には、森氏が前日に会談し、会長就任を打診した日本サッカー協会元会長の川淵三郎氏(84)が確実となっていたが、大会委関係者によるとこの動きを政府が問題視。 最後の演説は15分に及ぶ熱弁だった。
9しかし三塚派を実効支配していたのは森とだった。 開かれた場で適正に物事を決めていく。 の後、の組閣人事で、は「リクルート関係議員は入閣させない」と公言しているにもかかわらず、安倍は森を入閣候補として推薦した。
13こんなときは100億円つけますとか言わなきゃダメなんだよ」と叱咤した。 森は「本来ならもっと重要な話題は沢山ある」と述べている。 森氏の組織委会長就任への経緯や対応した諸問題、覚悟などについて書かれた『遺書』(幻冬舎)も参考にしながら、話を進めたい。
14従って森の田中に対する評価は、清和会系とライバル関係にあった田中派の系譜に属する政治家達への中でもとりわけ厳しい。 「自分の立場が一番上という意識があるのではないか」 森氏の地盤だった衆院石川2区内に住み、かつて後援会活動もしたという60代男性は「発言で周囲を困らせる存在になった。 それに憤った人達が「青朗会」を立ち上げ、森の選挙運動での中心組織となっていった。
15