パット・バリンジャーの映画出演は本作につづく四年間ほど、六十年代のみだが密度あるフィルモグラフィー。 それは単調でバカバカしく、ゆるゆるのままだ。 原題は『 Manos』……スペイン語で「両手」という意味らしいです。
3渡米後、アポストロフは映画の仕事を始め、自身の体験に基づく映画『Journey to Freedom』 1957 の制作に参加したが、その後は仕事に行き詰まり、組んで仕事をする相手を求めていた。 地毛は明るい茶色。 芸術的凡庸さのスペクタクルに、バカと間抜けのオンパレード! すべてがヒド過ぎて、こんなに面白く、愛おしい。
9『かわいい女』でリタ・モレノがやったストリップダンサーが本職そこのけの凄さだったため、それを現場で目撃したパットは自分に限界を感じ、映画出演をやめていく. 黄金女の持ち時間が15分で一番長い。 そのなにかがあったと思いたい. ダブル・マーダー……どんでん返しが1回• ただ迂遠に、映画そのものを、その"或る映画"と"映画というもの全体"を肯定したい気分を伝えるのみ。
しかし1972年に公開された『』を機にが台頭すると、ソフトコア作品は顧みられることがなくなっていった。
17……という訳で、そもそものストーリーがもうぶっ飛んでいるのですが、台詞や展開にもちょこちょこおかしな所があります。 その他にも、• 出演者のが、演技• 撮影ロバート・カラミコとパット・バリンジャー嬢の映画人としての関わりは『死霊の盆踊り』だけだとか。 長い映画の歴史においても、こんな映画は他にない。
5当時まだ日本では、「ヒドい映画のダメさを笑って楽しむ」という、すでにアメリカではマニアの間で広まっていた変化球的映画の楽しみ方の上級者コースは知られていなかったが、レンタルビデオ店が全国で急増し、とにかく新しいソフトが求められていたビデオ・バブルはそんな悪趣味をも受け止めて、『死霊の盆踊り』は市場に受け入れられ、限定公開の劇場上映は満員、ビデオは5,000本以上を売る大ヒット作となった。 本名スティーヴン・C・アポストロフ。