なお多くの国語の教科書では、ごんの気持ちを子供に考えさせるために省かれているが、原作では「うれしかった」と明記されている。 「ごんぎつねに手紙を書く」課題を与えられて「死んでるきつねに手紙届かなくね……?」とぼやいていたという長女の級友も、授業中にそんなことをはきはき発言したりはしないだろう。
14死因が結核だったこと、関係者が学年末で忙しかったことなどから、葬儀は1か月後の4月18日、離れの家で行われた。
それから十日ほど後、兵十の母親の葬列を見たごんは、あのとき逃がしたウナギは兵十が病気の母親のために用意していたものだと悟り、後悔する。 実際どうだったのかというと、やはり彼は頭脳明晰で成績優秀だったそうで…。
5りゑは出産後から病気がちになり、1917年11月4日午前1時、29歳で死去する。
兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。 兵十は火縄銃をばたりと、とり落しました。
20それで兵十が はりきり網をもち出したんだ。 子供たちは「撃たれてわかってもらえてよかったなんて思うわけないじゃん。 物置で縄をなっていた兵十がふと顔をあげると、この間うなぎを盗んだあのきつねが家の中に入って行ったではありませんか。
かわいそうに兵十は、いわし屋にぶんなぐられて、あんな傷までつけられたのか。 なるほど『ごんぎつね』は、ここで指定されている「気持ちの変化」を「想像」するのにうってつけの短編だ。
3ごんぎつねが川下の方へ歩いて行くと、兵十が川の中に入って仕掛けた網で魚を取っているようです。 中学で南吉は児童文学に向かうようになり、1928年2月、校友会誌『柊陵』第九号に『椋の實の思出』童謡『喧嘩に負けて』が掲載される。 「ああ、そう式だ。
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